住吉霊園の丑供養塚

11月22日(日)、5年前の2015年、住吉霊園に丑供養塚を探しに行ったが見つからなかった。そこで今回5年ぶりに奥さまと一緒に再び、丑供養塚を探しに行った。

何ともはや、驚き桃の木の結末でした・・・

なお、今回の記事は「続住吉学園誌」及び「荒神山無縁墓地の由来」(共に住吉学園発行)を参考にして書いた。


201122住吉霊園の丑供養塚1
市バス渦森橋で降りて、霊園への道を歩いて上がって行く。普通は車か巡回バスで上がるのであるが、私たちは歩いて上がる。

201122住吉霊園の丑供養塚2
少し上ると、石垣に小さな階段がある。

201122住吉霊園の丑供養塚3
上がって行くと、神式と仏式と思える小さな祠が2つある。荒神山荒神社である。住吉霊園の造成工事で不思議な事故が多発したので、この社を造営し不思議な現象を治めた、という。この社については以前記事にしている。

住吉霊園の神社

私たちのように霊園に墓を持たない部外者が上がるには、一言お参りしておきたい社である、と歩いて来たのである。

201122住吉霊園の丑供養塚4
紅葉の中を登って行く。

201122住吉霊園の丑供養塚5
住吉霊園に到着し、六地蔵にお参りして進む。

201122住吉霊園の丑供養塚6
巡回バスの停留所の藤棚に到着。5年前は5月に来たのであるが、ここの藤の花は素晴らしかった。この奥に無縁墓地がある。

201122住吉霊園の丑供養塚7
奥に進む。手前の赤いお地蔵様は水子地蔵であり、その奥の塔が無縁墓地である。

201122住吉霊園の丑供養塚8
住吉霊園の無縁墓地。しかしこの無縁墓地は最初からここにあったのではない。大正3年(1914年)に、小林墓地の墓籍を整理し、すでに無縁となっていると思わしき墓碑を荒神山に改葬した、荒神山墓地の前、現在の万翠園の場所である。ところが荒神山の住宅開発のため、昭和47年により北の御影石を切り出していた石丁場跡(エクセル住吉台の北東あたり)に移転されたが、この場所も墓地の後ろの岩盤が崩れるなど、墓碑の安置が守られなくなったため、昭和59年に現在の住吉霊園に再び移設されたのである。つまり3度目の移転で現在の安住の地にたどり着いたのである。

しかし、これには住吉学園の功績が大きい。無縁になった墓石は魂を抜いて、目立たないところに積み上げられるか、捨て去られても仕方ない。それを住吉学園は、これらの無縁墓を郷土の先輩として祭祀し崇めるという心暖かい措置をとったのである。


201122住吉霊園の丑供養塚9
頂上には大きな五輪塔が置かれ、正面には無縁法界碑(墓地内で区分けの碑もしくは供養塔)を中心に六地蔵が墓石を守る。

201122住吉霊園の丑供養塚10
そして5年前と同じように丑供養塚を探すが、無縁墓を3周4周と探してもやはり見つからない。う~ん、やはりここにはないのか、それとも私たちが見つけられないのか、このままでは気になって仕方ない。

そこでお忙しい所、悪いとは思ったが、霊園事務所に聞きに行った。「すみません、東灘歴史散歩に載っている、丑供養塚は無縁墓にあるのでしょうか」とお聞きした所、女性の方が快く対応してくれた。「丑供養塚ですね、あれ裏返ってしまったんです」・・・とにかく見に行きましょう。「えっ・・・」


201122住吉霊園の丑供養塚11
で、職員の方に教えてもらった丑供養塚、「たぶんこれだったと思います」。これではわからない、それで特別な許可をいただき、無縁墓に登らせていただきました。ここまで来たらどうしても確認したいのだ。

絶対に勝手に登らないでください。怪我、祟りについては一切責任を持ちません。


201122住吉霊園の丑供養塚12
それで登ってみると、確かに裏側に文字がある。

201122住吉霊園の丑供養塚13
近寄ると確かに「丑供養塚」とある、やっと会えた。思うに阪神淡路大震災で崩れたのを修復する際、裏表逆になってしまったのではないだろうか。職員の方も詳しいことはわからないらしい。

ところで、丑供養塚とは、御影石の切り出しや水車で挽く酒米などを運ぶのにゴロタ車を使い、それを牛が引いていたが、ときには重荷に足をとられて谷底へ転落し、哀れな最期を遂げた牛たちのために村人が建てた石碑である。この丑供養塚、無縁墓が荒神山の石丁場にあった時には、そこにあったようであるが、最初、何時・何処で建てられらのかわからない。最初は荒神山墓地に建てられたという話もあるが不明である。

歴史的にも重要な丑供養塚、何とか元に戻らないでしょうか。

ところで、許可をいただいたとはいえ、いくつかの無縁墓を足蹴にして登ってしまった。降りた後、踏んだお墓に「お許しください」とお参りした。また、来るときに荒神山荒神社にお参りしていて良かったと思う。今日までまだ祟りは無い。


201122住吉霊園の丑供養塚14
奥さまが横から撮った丑供養塚、もうこれは丑にしか見えないそうだ。

201122住吉霊園の丑供養塚15
とんでもない結末に奥さまと、笑いながら霊園を下って行く。

201122住吉霊園の丑供養塚16
秋の山を見ながら、帰りも歩きである。もちろん家まである。

住吉霊園無縁墓


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No title

神戸にこんなとこがおましたんですなぁ。物心ついて以来ずっと神戸に住んどりますが、まだまだ神戸について知らんことだらけですなぁ。ワタシら八部郡の人間にとっては、菟原郡は正に異国でんなぁ。

自力で歩けるうちに、ぜひ一度、この辺りを散策してみようと思います。ええとこをご紹介いただいて、ありがとうさんでした。

Re: No title

怠惰の清盛さま、コメントありがとうございます。

八部郡も莵原郡も摂津国、むしろ八部郡が神戸の中心地ですね。
本当は、八部郡にもっと遠征したいのですが、コロナ禍で地元をうろうろしているだけです。

コロナ禍の中、ご自愛ください。

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