幸殿社のクスノキ

5月11日(土)、幸殿社のクスノキがこの4月1日に神戸市民の木に指定されたのを知って、久しぶりに幸殿社に行って来た。神戸市民の木については以下の神戸市のHPに詳しい。

神戸市:市民の木、市民の森

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幸殿社は駒ヶ林の西、長田区野田町にある旧野田村の鎮守の社である。それで行きはJR鷹取駅で降りて色々見ながら幸殿社に向かう。

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まずやって来たのは大国公園。ここも色々あって面白い公園なのであるが、今日は前を通るだけ。

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大国公園のすぐ南にある、カトリックたかとり教会のキリスト像。

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阪神淡路大震災で倒れもせず、このキリスト像の後ろで火事がおさまったので、奇跡のキリスト像と呼ばれている(教会の広報版の写真より)。

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さらに下って国道2号線沿いの満福寺の亀甲積みの石垣。亀の甲羅のように六角形の石が積まれる面白い石垣である。

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その中に三つ巴と、

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小槌が埋め込まれている。楽しいですね。

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満福寺の東の道を2号線を超えて下って行くと、大きな木が見えてくる。

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幸殿社のクスノキである。住宅街では目立つ立派な木である。

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幸殿社の石垣も亀甲積みである。満福寺の石垣と言いどうして同じ亀甲積みなのであろうか。

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中に入ってお参りをする。

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木造の本殿の左には石造りの祠が祀られている。もしかしたらこれが最初の祠であったのか、それとも別の神様なのかな。摂津名所図会には幸神と記される神社で荒神庚申・賽ノ神を祀る祠であった。

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そして神戸市民の木に指定された、境内のクスノキ。市民の木の立て看板はまだなかった。4月1日に指定されたばかりなのでこれからであろう。

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神戸市民の木とは「市民の木は古木や大木、神戸市においてめずらしい樹木、歴史や伝承と結びついている樹木」の事らしく、このクスノキは「歴史や伝承と結びついている樹木」となるのであろうか。

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振り返って幸殿社のクスノキを見ながら、駒ヶ林に向かって歩いて行く。

幸殿社


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保久良さん

5月10日(金)、保久良さんに登る。

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登り口の天上川公園、とにかく新緑が美しい。

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途中何もなく定点撮影。あるのは新緑だけで、見ていて目が良くなるような気がする。

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新緑の中を登って行く。

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保久良神社に到着。ベンチで少し休憩する。

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灘の一つ火からの眺め。空気が澄んでいて対岸の堺・高石の工場地帯が良く見える。

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ちょっと遠いがりんくうタワーと関空連絡橋が見えている。

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さて、新緑の中の鳥居をくぐり神社にお参り。

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拝殿も緑の中。

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振り返って灘の一つ火。

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梅林にやって来る。ここも空気が澄んでいて三宮方向が良く見える。奥の山は淡路島かな。

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ベンチに座って見上げる。同じ新緑と言っても木によって緑色が違う。

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地面を見るとムカデが這う。昔はそこら中にいたが最近は減ってしまった。シジミチョウとジャノメチョウは飛んでいたが他に撮るのもは無く、虫も鳥も静かな梅林である。

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道も雑草で埋まる。

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帰り道の新緑。天気も良く空気も澄んでひたすら新緑を見ながら歩いた保久良さん、目が良くなったか、体が緑に焼けたか、堪能した。

保久良神社


西宮ぶらり散歩

5月9日(木)、西国街道や史跡などを見ながら、何となく西宮市内を歩いた。こういうのはこれからは散歩と言わずに街歩きと言うことにした。

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街歩きはJR西宮駅南側から始まる。写真右側に見えるモニュメントは、「平和非核都市」を宣言した西宮市の「平和の交響」である。

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駅前交差点から斜めの道を南西に進む。元商店街の道である。

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道の終点、阪神電車の高架下には「阪神電鉄 西宮東口駅跡地」のプレートが設置されている。2001年(平成13年)までここに西宮東口駅があり、今歩いてきた道は駅からJR西宮駅に続く商店街であった。

西宮東口駅は阪神電車の高架の際に西宮駅が東に寄ったので、駅間距離が保てずに廃止になった。


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東川を渡り少し下ると、官幣大社廣田神社の道標がある。この辺りは大阪から来た中国街道と西国街道の交差点であったので、旧街道沿いに建てられいたものがここに移されたのであろう。

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そして西国街道に出る。これは西宮えびす神社に向かう東西の道である。

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西宮えびす神社の手前には「蛭子大神御輿屋跡地(おこしやあとち)」の石碑がある。鳴尾から漁師たちが海で引挙げた蛭児大神を輿に乗せて、御神託の西に向かって出発した折、ここで休憩したのであるが、蛭子様が眠り込んでしまった。

困った漁師たちは、蛭子様のお尻を捻って目を覚まし再び西へ向って進んだという伝説がある。その御輿を置いて休憩したといわれている処がこの場所である。


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さらに進むと、西宮神社表大門(おもてだいもん)に着く。通称赤門(あかもん)と云われる表大門は、西宮えびす神社の正門である。

また、旧国道と言うのは、大阪より神戸に至る阪神間の国道として、1885年(明治18年)に国道26号として初めて指定され、その後、1920年(大正9年)に国道2号として指定された。しかし、当時の阪神地域の国道2号は、かつての田舎道の沿線がそのまま市街地化したため、幅員が2間(3、6m)程度しかない曲がりくねった狭隘路であった。ここもその旧国道であったのだ。

そのため1923年(大正12年)今の国道2号線を作る工事が始まったが、その工事名は「阪神国道改築工事」であった。新たに作るのではなく旧2号線の改築工事であったのだ。(ウィキより)


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西宮えびす神社に来ると、拝殿が工事中であった。本拝殿屋根の銅板葺替工事をしているようだ。


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神社を出て北に進み、傀儡師(かいらいし:人形操を業とする者)の銅像にやってくる。室町時代から全国を回り、人形を踊らせながら西宮えびす神社のご神徳をひろめた人たちである。

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さらに進み国道2号線を超えると、マンボウがJRをくぐる。このマンボウは谷崎潤一郎の小説『細雪』にも出てくる平松町のマンボウである。マンボウ前のバス停で会った、芦屋の女中お春と奥畑の啓ボンの会話と、後のお春の行動である。

・・・僕所はあのガードを越えた直きそこです、── と云いながら、そのマンボウの入口を指して、── 君、一本松知ってなさるやろ、僕所はあの一本松の傍やよってに、直き分ります、・・・。

・・・西宮の一本松の傍に家があると云われたのが意外だったので、或る日、あのマンボウを通り抜けて、一本松の所まで行って見たら、成る程ほんとうにお宅があった…


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マンボウをくぐり、東に行き一本目を北に上がると、

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道をふさぐような形で一本松がある。奥畑の啓ボンのアパートはこの辺りにあったのだ。

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松の根元には一本松地蔵尊があり、その手前には「史蹟往古武庫菟原郡界傳説地」の石碑が立つ。武庫郡と菟原郡の郡界は夙川であると言うが、往古にはここを夙川が流れていたのであろうか。

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さて、一本松の次にやって来たのは阪急電車北側の西田公園。何故かというと、

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ここに「旧西国街道跡」の碑が立てられているのである。江戸時代の西国街道は中央運動公園辺りから東川に向けて南下していたが、それ以前は広田神社の一の鳥居前を通り、越水城の南を抜けてこの公園辺りを通り夙川に向かっていたと考えられる。それを示すための碑だろうか。

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そして夙川にやって来る。

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夙川公園の八木重吉のモニュメントを見る。

おさない日は 水がもの言う日 木がそだてば そだつひびきが きこゆる日

小さな子供達にはこうあって欲しい。


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最後は夙川日切地蔵尊にお参りしてベンチで休憩。この後阪急電車夙川駅まで歩いて帰る。特に目的もなく今までに行った西宮を歩いたが、楽しい街歩きであった。

一本松


プロフィール

ひーさん

Author:ひーさん
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